端午の節句(たんごのせっく)とは、5月5日に、男の子の健やかな成長を祝い祈る日本の風習で、菖蒲(しょうぶ)を飾ったり菖蒲湯に入ったりすることから「菖蒲の節句」とも言われています。
ちなみに端午の節句は、国民の祝日「こどもの日」にもなっています。
端午の節句、日本には中国から伝わりましたが、中国では古来から端午の節句の習わしがあったようです。
古代中国では、物忌みの月とされる5月には、蘭の湯に浸かり、薬草である菖蒲酒を飲み、その菖蒲で体の汚れを祓って健康と厄除けを祈願するという行事が盛んに行われていました。
こうしたものが日本に伝わったとされています。
日本における端午の節句の始まりは、奈良時代(710-794)ごろ。
当時の日本でも季節の変わり目である端午の日に、病気や災厄をさけるための行事が行われていました。
薬草摘みをしたり、菖蒲を浸した酒を飲んだり、また病気や災いをもたらすとされる悪鬼を退治するという意味で、馬から弓を射る儀式も行われたようです。
鎌倉時代には、尚武(武をたっとぶ)の気風が強い武士の間で、「菖蒲」と「尚武」をかけて、端午の節句を尚武の節日として盛んに祝っていました。
室町時代の武家では、5月5日の端午の節句に、竹竿に布を張り「吹き流し」を立てるようになりました。
江戸時代に入ると、5月5日は徳川幕府の重要な式日に定められ、大名や旗本が江戸城に参り、将軍にお祝いを奉じるように。
将軍に男の子が生まれると、表御殿の玄関前に馬印(うましるし)や幟(のぼり)を立てて祝いました。
この行事が、薬草を摘んで邪気をはらうという端午の行事と結びつき、男の子の誕生の祝いへと結びついていったとのこと。
江戸時代の中期には、武家の幟に対抗して、町人の間では鯉のぼりが飾られるようになったそうです。
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